作業療法士と病院

思わぬ幸運→あっちゅう間に失望

数日間、ライターの仕事をしている間も、職探しをしている間も、その病院のことが頭から離れなかった。

最初の就職の、つまづき。あれから結構な年数が経った。

ひ弱で世間知らずだったあの頃の私よりは、多少なりとも物事の道理もわかり、逞しくなっているはずである。いっそ、声をかけてくれたあの病院に、精神科作業療法士として就職しようか?院長先生が言っていた「こういうのは、ご縁」。そのとおりかもしれない。

あれほど辛い思いをした精神科作業療法士に戻ろうと思った、もっと強烈なきっかけはちょうどこの頃に起こった。でもそれは、最終章に書くことにする。

とにかく私は、1ヶ月近く迷ったあげく、あのY病院の面接を受けようと決心し、電話をかけたのだった。人事担当の方が電話に出てこう言った。

「わかりました。とりあえず面接に来てください。まあ、もうあなたの机とかロッカーとか、用意して待ってますけどね」

不思議だなあ。決まるときって、何かに運ばれるみたいに決まるものだ。私は押入れの奥深くに眠らせていた『最新精神医学』『神経学』などの医学書を引っ張り出し、自分の頭の中を更新する作業に入った。

情報がかなり古いので、ネットや、現役作業療法士の友人もフルに使って勉強しなおした。そして、当時お世話になっていたクライアント数社に挨拶に回りはじめた。

精神科で働くんです、と告げると大抵の人は驚き、知らなかった、そんな資格持ってたんだ、と言った。そして何人かは、じつは自分は通院歴があるんだよ、と打ち明けてくれた。仕事の重圧で、軽い抑うつ状態になる人はたくさんいるのだ。

また、心の病と向き合う日々。

不思議なことに、新卒時代に感じた不安や緊張感や傲慢な気持ちは微塵も無く、逆に静かな自信があった。私が精神科作業療法士をちゃんとやるために必要なのは、何より社会経験だったのだ。異質な業界で、1人で頑張って来たことが、絶対に精神科での仕事に活かせると確信していた。

残った仕事を終わらせ、すべてが片付いたとき、私はY病院の作業療法士となった。

何だか、あまりドキドキもしない仕事始め。

スタッフの皆さんは本当に良い人ばかりで、私は初日からさっそく各病棟のカルテから情報を吸収した。作業療法課のスタッフは全員私より若かったが、こちらはブランク10年近くのオバサンである。言葉遣いに気をつけ、謙虚に仕事をすることを第一に考えているうちに、ほどなくみんなと打ち解けた。

人間関係とか、そういうのはまあ良い。どうにでもなる。

この時私がショックだったのは、入職1ヵ月後に、私に割り当てられた病棟である。アルコール・薬物依存症とか統合失調症とか境界性人格障害とか、そういう疾患の患者さんばかり勝手にイメージして、自分の担当病棟が決まるのを、私は楽しみにしていたのである。

アンジェリーナ・ジョリーとウィノナ・ライダーの『17歳のカルテ』という、境界性人格障害を扱った映画のビデオを繰り返し観て、日々モチベーションをあげていたのだ。

てっきりこれからの未来ある、若い患者さんたちと関わっていけるのだと勝手に思い込んで。しかし上司は私にこう告げたのだ。

「介護療養型病棟の担当者がいないの。上野さんお願いできますか」

ああ、世の中ってやっぱそんなにうまくいくモンじゃないなあ、と私は肩を落とした。

介護療養型病棟=認知症・老人性精神病=患者さんはみんな高齢者。

Y病院に介護療養型病棟があることは、もちろん認識していた。でも担当病棟が決まるまで、どちらかというと深く関わらず素通りしていたのだ。自分にはあんまり関係ないと思って。

…だって、お年寄りは大、大、大の苦手だから…。

これって運命?!再び精神科作業療法士に
あり得ない!!どこもかしこもお年寄り(涙)