作業療法士と病院

心機一転、チョー楽しい東京暮らし

最初の就職先でさっそくつまづき、S市の精神科・K病院を1年足らずで退職することになった私。当時は、これで

キッパリ精神科の世界とはおさらばね♪

などと思っていた。たった1年未満の精神科作業療法士経験。あーあ、どうやら私は進路選択を間違ったらしい。だいたい、高校の友達の軽い一言で進路を決めてしまう当たり、自分でもイヤになっちゃうくらいアタマ悪そうである。

そんな嫌悪感を抱えつつも、退職して1週間も経つと、心身ともにダメージを受けていたはずの私はずいぶん回復していた。

じっくり考えて進路を決めなかった反省もあって、すぐにどこかに就職することはやめ、とりあえずフリーター(死語!!)をやって生活費を稼ぎながら、どんな仕事に落ち着くかをじっくり考えることにした。まずは色々なことを経験して、自分の適性を白紙から見直してみるつもりだったのだ。

退職後3週間経ったころには、東京の友人を頼って彼女のアパートに同居し、掛け持ち可能な何件かのバイトを見つけていた。

世田谷区の桜丘にあった、結構新しくてキレイなレオパレス。そこから電車で通勤できる範囲で、バーの店員とエステサロンの助手の職にありついた。

2つのバイト代を合わせると、新人精神科作業療法士の月収を軽く上回った。東京暮らしは札幌に比べて何かとお金がかかったけれど、部屋代は友人と折半だし、生活には余裕があって楽しかった。

エステサロンは渋谷東口、バーは道玄坂にあり、田舎者の私は出勤途中、何度か芸能人を見かけては興奮し、札幌の友人らにまでいちいち報告したりしていた。当時映画館では、米米CLUBの石井竜也さん監督の「河童」という不思議な映画をやっていた気がする。

同居していた友人は、理学療法士。1つの病院の正職員になるより、何件かの病院にバイトとして入って掛け持ちした方が稼げる…と言って、かなりハードな生活をしていた。その代わり月収は40万円超で、新人理学療法士としてはかなり良いほう。

何でも、親御さんに借りたお金をさっさと返すのだと言って、とても頑張っていた。

札幌から彼女を頼って出てくる前、東京都世田谷区に部屋を借りて住んでいると聞いて、ずいぶん良い所に住んでるなあ…と、勝手に想像していた。

が、来てみると彼女の部屋の付近には農地もあり、野菜の無人販売所や100円で5分間しか使えないコインシャワーのお店など、びっくりするほど都会らしからぬ風景もあり、つくづく自分は現実を何も知らなかったのだなあ、と思ったものである。

「東京」を洗練されたイメージでしか捉えていなかったぶん、生身の東京は毎日刺激的で面白く、今思い返してもこの時期は、自分の半生で一番楽しかったように思う。人がたくさんいていろんな文化がごった煮されているぶん、何でもアリのタブー無し。

ごちゃごちゃ散らかっているのに、俯瞰したら整然としている。田舎には無いそんな不思議な感じが、たとえようもなく好きだった。

今5歳の長女は大のパパっ子であり、時々独り言で「私がパパと結婚するには、パパとママに離婚してもらうしかないわね」などと言っている(汗)。もし本当に追い出される日が来たら、私は間違いなく東京で独り暮らしをするだろう。

そして、下北あたりで劇場に入り浸ったりして、野垂れ死ぬまで自堕落な、幸せな日々を過ごすのだ。

精神科作業療法士に向いてないかも?!
患者さんに鍛えてもらった私の「精神」