作業療法士と病院

患者さんに鍛えてもらった私の「精神」

話がそれてしまったが、そんな、S市での辛い日々を忘れさせてくれるような楽しい東京暮らしが半年ほど続いた、ある夏の日。友人と2人、お互いに仕事を終えて部屋でお酒を飲んでいた。

クーラーのきいたワンルームマンションだったが、酔いが回ってくると窓を開けたくなり、2人でベランダを全開にして、柵の間から両足をぶらぶらさせて通行人を眺めながら、甘めの日本酒をちびちび飲った。

そのとき、裂きイカかなんかをクチャクチャ噛みながら、彼女が言った。

「でもたまちゃんさ、いろいろあったんだろうけど、随分変わったよね」

「ああ、イロイロあったとも。もっと詳しく聞きたいかい??あんた泣くよ、きっと」

「いや、もういいよ過ぎたことは…ていうかさ、こんなに強い人じゃ無かったよね。いっつも誰かに頼って、誰かに守られてさ。甘いイメージが、あったんだよね」

同じことを、H大の教官にも言われていたっけ。

「上野さんは甘い雰囲気だなあ」

そして付き合う男性にもよく言われてる気がする

「甘え上手だよね」

「甘いタイプだよね。1人では生きて行けなさそうだね」

みんなが当時の私を形容するのに使った「甘い」という響き。それは、守ってあげたいとか少女っぽいとか可愛らしいとか、ポジティブな意味の甘さか。それとも、依存心が強いとか他力本願だとか世間知らずのバカだとか、ネガティブな意味の甘さか。

深く考えたことはなかった。しかし目の前の友達がたった今使った「甘い」は、多少なりともネガティブな意味を含んでいる気がする。私はドキリとした。

「それってさ、甘くなくなった、今の私の方がイイ、って意味に捉えていいの?」

彼女は軽やかに笑って、

「もちろん。ちょっと心配だったんだよね。で、案の定、実習でいろいろやらかしてたじゃん」

思い出したくないことに触れられて相手が親友でも一瞬酔いが覚めかける。

「それがさ、たった1年くらいの間にずいぶん変わったもんだよね。よく東京まで出てきて、自力でバイト見つけたもんだよ。あんたが作業療法士やめてH大の先生方は失望してるかもしれないけど、私は今のあんた、間違ってないと思うよ。だって、前より自立してる感じするもん」

思いもかけず褒められて、少し私は恥ずかしくなった。

世間一般から見れば私は、せっかく3年間通学して取った国家資格があるのに、すぐ仕事を辞めてしまった根性なしであることは間違いない。しかし考えてみれば、悪い面ばかりでもない。

小さい頃から私は、何か都合が悪くなるとすぐ人や環境のせいにしたり、誰かを頼って守ってもらおうとする傾向があったように思う。それは最初の就職を決めた当たりまで、さしたる成長もなくずっと続いていた性質だったはずだ、しかーし。

あの2つの、ボロボロだった実習。

そして、思い切り蹴つまづいた最初の就職。

これらの失敗を通して、小さい頃から勉強はそこそこに出来るはずだったのに、そんなことは屁にもならないことを思い知った。すべての基礎は、やっぱり人格なのだと思った。

私の場合その人格の部分に問題があり、甘さ、浅はかさ、傲慢さ、ズルさといった自分の至らない部分を社会人になるまで意識的に改めようとすることもなく、結果仕事を通してイヤというほど思い知ったのだった。

しかし、ごく普通の、と言ったら語弊があるかもしれないが、例えばOLさんとして事務職に就き、先輩や上司にねちねち言われたりするぐらいでは、ここまで自分の欠点があぶり出されることにはならなかったと思うのだ。

患者さんたちが、鏡になってくれていたから、自分の欠点を直視できたのだと思う。私の持っている欠点は、患者さんたちの持っている欠点でもあった。

「依存心」

これはじつにさまざまな精神疾患の引き金因子となったり、また病状悪化に拍車をかける働きを持つ厄介なものである。

私が、患者さんたちから、精神科の世界から離れたくなったのは、患者さんと自分の共通項である「依存心」を直視出来なくなったからではないだろうか。

そうか、私は私なりにすごくちょっとずつだけど成長してるんだ。これはきっと、あのK病院の患者さんたちや、スタッフさんのおかげもあるに違いない。

もちろん最悪だった実習も、そこで関わったすべての人たちも、砥石となって、依存心たっぷりの甘かった私を鍛え上げてくれたのだ。それだけでも、たった1年未満の精神科作業療法士経験が無駄にならなかったと思おう。

なあんて考え事に浸っていたら、「まあ欲を言えば、私にルームシェアを持ちかけてくるあたり、まだまだ甘いんだけどねぇ」彼女は突然こう言うと、ぬるくなった日本酒をぐいっと飲み干して、豪快に笑った。

完敗。おっしゃるとおり、部屋も自分で見つけて自分1人で借りれば、もっと格好良かったものを…。私は裂きイカを噛みしめてうなだれるしかなかった。

楽しくてちょっぴり肩身の狭い共同生活は、その後彼女が実家の長野に帰ることになってあっさり終わりを告げる。 

やむを得ず札幌に戻ってフリーターを続けていた私は、ちょっとしたきっかけで雑誌のライター及びイラストレーターというまったく異質な職業に就くことになり、5年あまりを楽しく、忙しく過ごすことになる。

同居していた友達は数年後、なぜか単身インドにわたり、そして中国方面に長らく旅していたかと思えば、香港の男性と結婚して今で言う韓流スター顔負けみたいなちょっとケバケバしいウェディング写真を送ってきた(香港の人たちはみんなそうするのだ、と彼女は言っていたが…)。

精神科の世界から離れて数年間。他にも転職や結婚などで、精神科作業療法の世界から離れた友人たちが何人かいた。自分自身も周囲も、結構それなりに楽しげだった。

そして、いつしか心の病のことなんかすっかり忘れて、それぞれに精一杯日々を生き急いでいた。

心機一転、チョー楽しい東京暮らし
これって運命?!再び精神科作業療法士に