作業療法士と病院

忘れられない出来事~自殺の瞬間に居合わせた

話は前後してしまうが…。

雑誌のライターから精神科作業療法士に出戻った動機は、前述したとおり土・日・祝・盆暮れ正月に休みたいからという極めて不純なもの。でも、本当にたったそれだけの理由なら、別に精神科作業療法士でなくても良かったはずだ。

最初に精神科に就職したときはつまづいたわけだし。

ちょっと勉強しなおさなきゃならないが、身障系作業療法士に方向転換したっていい。曲がりなりにもライターとして数年やってきたのだから、売り込みも事務的な作業も嫌いじゃない。事務や営業だって頑張れば何とか出来るはず。

なんなら生保レディとかヤクルトのおばさんなんかどう??と本気で考えた日もあった。それなのに結局元の世界に戻ったのは、「もう一度精神科の仕事に挑戦しなきゃならない」と思い立ったのは、

あの出来事があったからだ。

初夏だった。

まだまだ涼しかったけれど、昼下がりにアスファルトの上に立ち尽くしてだべっていると、半袖の背中がそれなりに汗ばんでくるのを感じていた。

ある雑誌の取材クルー3人と一緒に中央区でひと取材終えて、解散。カメラマンやプロデューサーは車で次の現場に向かった。フリーランスの私はその日、次の仕事が入っておらず、とりあえず札幌駅近くの某新聞社を目指して地下鉄東西線に乗り込んだ。

デスクを1つ間借りして、他の記者が書いた原稿をリライトする仕事をもらっていたのだった。とくに出勤時間なども決まっておらず、オイシイ仕事だった。

当時付き合っていた男性とたぶん結婚する、というところまで決まっており、何となく毎日が浮き足立っていた。楽しいけれど休みが不規則なこの仕事をそろそろやめて、土日やイベントを彼と過ごせるような、勤め人になろう。そんなことを考えていたころだった。私は鼻歌を歌いながら地下への階段を降りた。

あれ、間違えた。。

まだそんなに暑くはなかったのに、乗りなれた地下鉄だったのに、私はなぜか、自分が向かう方向と逆のホームに降りてしまった。

あーあ、めんどくさいな。もう一度地上に出るなんて、もっとめんどくさい。仕方がないから、逆向きのホームに続く、地下道を通ることにした。

薄暗くて、掃除が行き届いているかどうかもよくわからない、細い地下道。じめじめとしていて、道の両側にある細い溝からかすかに腐臭がする。ネズミでも出てきそうなその地下道は何度か通ったことがあるけれど、怖いと思ったことはなかった。別に子どもじゃないんだから…

でもその時、初めてその地下道を、怖い、と感じたのだ。

地下道の半ばにさしかかった時、向こうから、えらい勢いで走ってくる男性が見えた。黒っぽい服装で小太りのその人は、決して速くはない、上体を左右に揺らし足を多少ひきずるような独特の走り方だったが、荒い息で、どんどんどんどん、私の方に近づいてくる。

やばい、何かヘン!!

私は息を飲んで立ち止まり、男性の顔から目を離さず地下道の脇の方に身を寄せた。彼は私とは目を合わさなかった。いや、彼には私など見えていなかったのだ。

私は少しホッとした、どうやら襲われたり物を盗られたりする展開は無さそうだったから。そして次はやや冷静に、この変わった男性を観察してみた。

どんどんどんどん、私の方に近づいてくる。

形相というのでもなく仮面のような表情で年齢不詳。なんとなく土気色の顔からは、喜怒哀楽が読み取れない。こういう人たちにどこかで会ったことがある。何か見覚えのある、懐かしい感じがする…とその時私は思ったのだ。

でも、なぜ私はすぐに気づかなかったのだろう。

その不思議と「懐かしい感じ」は、かつてほんの少し、精神科病棟に勤めていた事に由来していたのに。

そして彼とすれ違う時、暗い地下道で聴こえていたのは、その荒い息と、計算されたようなタイミングで近づいて来る電車の音だけだったのに。

すれ違っていく彼の背中を少し振り向いて見送り、私は階段を上がって目的のホームにたどり着いた。

なぜかドッと疲れて、すぐに木製のベンチに腰掛ける。すぐ左のベンチを見ると、お局さん風の、髪をアップにしたちょっと怖そうなOLさんがガムを噛みながら、鋭い目つきで私を見返す。

今会った男性の事がアタマを離れなくて誰かに話したい気分ではあった。が、こういうタイプとはあまり仲良くなれそうにない。そう思って彼女に話しかけるのを諦め、正面に向きなおしたら、ちょうど、あの男性は宙に浮いていたのだった。

ただの偶然と頭では理解していながらも、今も時々考えてしまう。

なぜ、私の真向かいのホームを、彼は飛び込む場所に決めたのだろうか?

2つのホームを隔てる太い支柱のすぐ向こう側に電車の鼻先がさしかかったとき、彼は何のためらいもなくダイブして、気をつけの姿勢で、目的を遂げたのだった。

不自然なブレーキ音と一緒にたくさんの叫び声が聴こえたが、その中に彼自身の声は含まれない。すべてホームで電車を待っていた私たち目撃者の声だ。地下道を走っていたときも、飛び込む瞬間も、彼は無言だった。

飛び込みの瞬間、反射的に彼の死に様から目を逸らして左を向いた私は、一瞬であのお局さんと「見た?!」という無言のメッセージを交わして打ち解けたのだった。

同僚もドクターもちょっとヘン?変わり者が多い業界
そして「帰る」ことにした